都会の狭いベランダで健気に咲く花たち。
それを窓から見ていると、何だか励まされているような気になった。
結局、誰かの面倒を見ているのが性に合っているんだなぁ、とひとりごちる。
ようやく夫の世話や子育てから解放されたというのに、私はそんな暮らしに物足りなさを感じていたらしい。
暇だなぁ…と言うのがすっかり口癖のようになっていた。
子どもたちが大学に入り、子育ても無事、一段落。
そのタイミングを見計らったように、夫は地方に単身赴任となった。
結婚して20数年。
新婚当初は、ひとりでご飯のひとつも炊けない夫の面倒をみて、そのうちに子どもができ、年子で産んだ子はふたりとも男の子だった。
ワンパクふたりの子育ては、それこそ体力勝負で、毎日、目まぐるしく慌ただしい。
月日は飛ぶように過ぎていき、気がつけば、子どもは手がかからなくなり、夫も不在。
私はひとり取り残されたようになっていた。
今思えば、あの頃は忙しくも充実した日々だったのだとわかる。
寝る時間以外はほぼずっと誰かの世話を焼いていて、365日年中無休の専業主婦。
休みがほしい、といつもぼやいていた毎日。
けれど、そんな生活から解放されてみれば、私は、暇を持て余すようになった。
そんな張り合いのない日々が一変したのは、とあるテレビ番組がきっかけだった。
何気なくぼんやりと眺めていたテレビ画面いっぱいに、きれいに咲き誇る花たちが映し出された。
専業主婦だった女性が、子育ても終わって自由な時間を手に入れた後、自宅の庭を改装してイングリッシュガーデンを作ったと言う。
画面の中のその人は、愛情をかけて育てると花はそれに応えてキレイに咲いてくれるのだ、と語っていた。
これだ! とひらめき、私はすぐに行動に移した。
広い庭など望めない都会のマンション住まい。
私に許されるスペースは狭いベランダだけだった。
それでも、本やインターネットで調べ、プランターでのガーデニングを研究した。
まずは、ベランダを丁寧に掃除して、ガーデニングのスペースを確保する。
それから道具をあれこれと買い揃え、花の種もいくつか買った。
何もかもが初めてなので慎重に、そして、手間を惜しまず、愛情をたっぷり注いで…。
すると、そんな想いに応えるかのように、花たちは小さなプランターの中で精一杯きれいに咲いてくれた。
あぁ、あの時のあの人の言葉は本当だったんだ。
花たちは私の愛に応えてくれるんだ。
親の愛情なんてウザいと思っている子どもたちにも、長年の妻の気遣いにありがとうのひとつも寄こさない夫にも、もうがっかりすることはない。
私の愛情は、全部、この花たちに注ごう。
そしていつか、狭いベランダではなく、もっと広いお庭で、あの番組で見たような素敵なイングリッシュガーデンを作るんだ、と私は心に誓った。
花の世話に夢中な私はまだ知らない。
夢のイングリッシュガーデンを作る時は、自分ひとりではなく、子どもも夫も大いに協力してくれることを。
そして、完成したガーデンを4人で眺め、笑い合う未来のことを、今の私はまだ知らない。